資料に潜り込む・・・・・・ [館長日記]

ここ2週間ばかり、仕事の関係でいろいろな歴史資料と向き合っている。

そうした資料の内容については、別の機会、別の場で公表できれば、と考えているところだが、資料を読み込むことは、なかなか大変な作業であることを痛感している。

その資料を通じて、書き残した人や、その人が置かれた当時の社会が、少しずつ、見えてくる時がある。しかし、そうするためには、とにかく一定時間、その資料の中にはまり込んでいく必要がある。

資料にはまり込む時の感覚は、光の届かない深い海の底へ、意識を集中して素潜りするかのようである。ひたすら、海の底=資料の語るところを凝視し続ける。周りには誰もいない。ただひたすら、自分の意識を研ぎ澄まし、集中させていく。そんな感じだ。自分の能力は知れているから、なおさら資料へ沈潜する努力は欠かせない。

ただ、それを何日も続けていると、周りは一切視界に入らなくなり、自分の中だけで意識が完結するようになる。自分の外に意識を拡げようとしても、潜水病のようにクラクラする。

素潜りもほどほどに、ということなのか。しかしほどほどでは、資料へ沈潜することはできないのだが。


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