「モノ」としての、心霊写真 [館長日記]

お盆が近い。

というわけでもないのだが、最近、私の周辺では、妙に異界の話が飛び交う。ついさっき、立ち飲みしてきたところでも、常連さんが「妖怪」の話(自説?)を披露したりしていた。

異界に敏感な小中学生は、心霊映像を見て、大騒ぎしている。大騒ぎするくらいなら、見なければ良いのに、なぜ見るのだろうか?そんなことを思う当方は、よほど鈍感なのだろう。

テレビで頻繁に放送される心霊映像を見ていて、気になることがある。

やたら物質感豊かな映像が多いことだ。

人間の眼と同じシステムをもつが、そこには一切の「解釈」が入らない(はずの)映像機器に映る、「霊」の姿が、やたらに質感があるのだ。ということは、「霊」もまた、物質なのだろうか?

もしそうでなければ、物質感あふれる映像は、すべてトリックか、見間違いということになるはずだ。好意的に見れば、見間違いはその映像を見る受け手側の問題なので、あり得る話だ。何せ、どこかで読んだが、人間は3つの点があれば、人の顔と受け止める認識構造をもっているのだから。

しかし、見間違いで片付けられない映像や写真なら、どうなるのか?夏休みの宿題として、少し考えてみたい。

 


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hiro

讃岐国府の発掘場所について聞きたいのですが菅原道真の詩に書かれている「開ほう寺は国府の西にあり」ということですが開ほう寺の後はどうやってわかったのですか?
by hiro (2011-11-16 23:30) 

館長

hiroさま、コメントありがとうございます。

道真が詠んだ漢詩の注釈に見える「開法寺は府衙の西に在り」という開法寺は、昭和40年代にその内容が初めて明らかになりました。田んぼの中の小高いところが塔跡であることが、発掘調査でわかったのです。見つかった瓦は白鳳時代から奈良時代にかけてのものでした。

この場所のすぐ西に池がありますが、この池の名前が「開法(宝)寺池」なのです。江戸時代にはこの名前であることは、最近の埋蔵文化財センターの地名調査でもわかっています。

地元の人が長く語り継いできた地名と、発掘という科学的方法のコラボによって、道真の見た開法寺の場所が特定されたわけです。

埋蔵文化財センターでは、今年は開法寺の東側の発掘をしています。日々の出来事は埋文センターのHPにアップされていますので、そちらもご覧ください。


ところで9月末以来、自分のブログであるにもかかわらず、記事をアップできない状態が続いており、ご愛顧いただいている読者の方々にはご迷惑をおかけします。

館長がアナログ人間ゆえのトラブルですが、何とか近日中には問題を解消したいと思っていますので、今後ともごひいきにお願いします。
by 館長 (2011-11-18 18:47) 

hiro

2月11日の考古学講座に行けなくてすみませんでした。
塾の勉強合宿に強制参加だったのでどうしても行くことができませんでした。2月の間は診断や期末などで忙しいので3月の町家とおひなさんのときにまた家によらしてもらいます。そのときはまたいろいろなことを教えてください。よろしくお願いします。

by hiro (2012-02-13 00:13) 

館長

hiroさま

   >>塾の勉強合宿に強制参加だったのでどうしても行くことができませんでした。

今できること、勉強もそうですが、大事にしてください。「うたづの町家とおひなさん」が3月3・4日とありますが、ウチも毎年おひなさんを飾ってます。よかったら、遊びに来てください。

ウチの近辺は、おひなさんを飾るエリアの南端の方なので、見に来られた方も来ることは少ないかもしれません。でも、リピーターの方もおられますし、いつものように私も楽しみたいと思います。

もし宇多津に来られた方で、「ひょっとして、この家が館長のウチか?」と気付いた方がいれば、とことん宇多津のまち並みをご案内しますよ(笑)・・・・・・・・・・・・。
by 館長 (2012-02-29 21:43) 

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