エンゲルスにとっての家族とは・・・・・・ [館長日記]

一夫一婦制が歴史的に登場したのは、男女の宥和としてではけっしてない。ましてや、この宥和の最高の形態としてではない。その反対である。それは、一方の性による他方の性の抑圧として、つまりそれまで全先史時代を通じて知られなかった両性間の抗争の布告として、あらわれたのである(83~84頁)。

個人的性愛の発作の持続期間は、個々人によって非常に相違する。とくに男のばあいにはそうである。そして、愛着がまったくなくなるか、あるいは新しい情熱的な恋愛によって駆逐されたばあいには、離婚は当事者の双方にとっても社会にとっても善行である(105~106頁)。

エンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』(村井・村田訳、1954年、大月書店)より。

抜き書きなので、ぎょっとするような文章に見えるが、エンゲルスの歴史的な分析過程での一文である。史的唯物論を理解するための表現として、読み込むことが必要なのであろう。

しかし、こんなぎょっとする文章を目にすると、自身の生きた同時代の価値観として、エンゲルスが置かれた夫婦関係、あるいは家族の中での立ち位置がどうだったのか、知りたくなってしまう。


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