歴史的素材と文化財(未完)(1) [研究ノート]

歴史的素材と文化財【2008~2011】 

佐藤 竜馬 

1.「まち歩き」の経験から考える  

個人的な話になるが、2007年4月から2010年3月まで、香川県観光交流局で仕事をする機会に恵まれた。県内各地で取り組みが始まった「まち歩き」に、文化財の専門職員として、支援を行なうこと。それが新たな職場での仕事となった。 

従来型の観光とは異なる少人数・滞在型の観光の姿である「まち歩き」は、まちの日常的な暮らしや文化を紹介していくガイド・ツアーである。埋もれた地域資源を掘り起こし、磨き上げることで、地域のにぎわいやまちづくりに繋げていこうとする点で、まち歩きは地域振興の有効な「手段」であり「入口」であると位置付けられる。実施主体の諸団体は、楽しみながら素材を探し、コースを構築し、会話を交わしながら参加者を案内する。こうしたツアーを通じて、地域には少しずつお金が落ち、店舗はディスプレイを工夫し、ガイドたちは地域を再認識する。我がまちの魅力を伝え、「またこのまちに来たい」と参加者に思わせ、リピーターへと誘導していく仕掛け。それがまち歩きだ。 

しかし、いくら優れた手法とはいえ、そこに盛り込まれる素材が魅力的でなければ意味がない。では、まち歩きの標準的な2時間2kmのエリアで、どのような素材が掘り起こすことができるだろうか。 

具体的なエリアは、商店街でも郊外の集落でも結わない。人間の暮らしという歴史的所産さえあれば、場所は問わないのが、まち歩きだ。しかし市史や町史をめくり、当該地域の歴史的素材を探すものの、あまり見つからない。あったとしても、せいぜい一つか二つ見つけられるのがやっとだ。 

そこで今度は、市史や町史に書いてあるお寺や文化財を繋ぎ、コースを作ってみる。我ながら盛りだくさんで良くできた、と悦に入り地図を見てびっくりする。距離が10kmにもなり、とてもそぞろ歩きなどという風情ではない。 

ではまち歩きには、取り上げられるべき歴史的素材が存在しないのであろうか。現在、まち歩きとして成立しているコースでの素材は、文化財どころか歴史的な所産ですらないのだろうか。筆者は、そのようなことはないと認識している。ではそこには、どのような問題が含まれているのだろうか。 

こうした矛盾は、何を歴史的な素材と見るか、という点で、郷土誌とまち歩きが全く違うスタンスであることを示していると考える。あえて言うなら、地域で暮らす普通の人たちが実感できる「歴史」は、郷土誌に盛り込まれていないことの方が多いということだ。 

つまり、a.まち歩きの素材(以下、我々が日常的に用いる言葉「ネタ」を用いる)そのものが、既存の文化財や歴史資料とは全く異なるものである場合と、b.ネタとしては同じ対象(物)であるが、ネタを構成する諸要素から何を選び、取り上げるのかが異なる場合がある、ということが指摘できる。 

aの事例はしばらく措くとして、bの事例を先に考えてみる。ある寺院について、(1)鎌倉時代に創建され多くの子院をもち江戸時代の立派なお堂がある、(2)境内で開かれる市の最終日の朝に小銭拾いして小遣い稼ぎするのが、地元の子どもの楽しみだった、という二つのネタがあったとする。どちらもその寺院で起こった歴史的「事実」だが、市町史でまともに取り上げられるのは、(1)の方である。しかし、まち歩きでは(1)をふまえて(2)が大事にされる。とすると、まち歩きにあたって最も重要なネタ元は市町史でなく、(2)の様子を生々しく語れる地元の人ということになる。実際、(2)のようなネタを生き生きと自分の言葉で語るガイドの姿が見られるのが、まち歩きの醍醐味といえよう。 

ところで、次のような反論が歴史・文化財関係者から出るかもしれない。(2)はそもそも歴史なのか。仮に歴史だとしても、もっと正しい歴史があるのではないか。 

一見もっともらしい反論だが、このような意見は、まち歩き以前の歴史認識というところでさえ、問題を含んでいるといわざるを得ない。 

何が「歴史」なのだろうか。個人の思い出が歴史かどうかは微妙なところだが、それが地域社会と関わりをもつ事象ならば、「歴史」から排除することは難しい。したがって、地域と寺院が強く関わり合い育んできた境内市の「記憶」は、歴史と見て何の問題もない。では、境内市の記憶よりも寺院の沿革の方が、『正しい歴史』なのだろうか。歴史の素材には優劣があるのだろうか。 

ここで我々は、「全ての真の歴史は、現代の歴史である」という哲学者ベネディット・クローチェの言葉を想起する必要がある。歴史は、語り手の切り口や立場で選ばれ、組み立てられるもので、そこには現代人の問題関心が反映されている、という意味だ。何か自立した、歴史が自ら秩序だち語るようなイメージをもつ人が、歴史の専門家にもいるが、当然ながらそのようなことはあり得ない。歴史は、現代に生きる人が自らの問題意識と価値観で素材を見いだし、語るものである。歴史と歴史的素材は、与えられるものではない。 

以上のように、寺院境内での市の記憶は、立派な歴史(素材)であると考える。

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※写真は、まち歩きのイメージ画像です


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