歴史を知覚する [館長日記]

いつ私に根をおろしたのか、もはや思い出せないが、私には次のような考えがあった、―歴史を知覚することは、眺めることとして表現するのがいちばんよい、多分もっとよいのは、もろもろの像―「像」を何と解するかは、さしあたり全く問わない―を呼びおこすこととして。                            (中略)私の精神は、総じて理論的問題には傾いていなかった。過去の、花咲におう多彩な細目とのじかの接触―その接触がどのようにして得られたものであるにせよ―だけで私には足りたのである。(44~45頁)

とっくに消滅した建物の外観とか、ある特定の親近関係の関連性とかを知ろうとする願望に捉えられるときに行われる、一見ひどくつめたい無味乾燥な文書館通い―まさにこうした文書館の研究で、過去の断片と直接に触れる感じ、さきに私が「アンティーズ」(執着、執念)と名づけたもの、また過去の事物への一瞥を求める憧れ―このような執念と、このような憧憬がいともしばしば人を捉えるのである。(47頁)

歴史的なものの中には、決定論的に定められた進化があるとする、こうした信条は、しかしながら畢竟ときには摂理ないし宿命論へのぎこちない帰依と余り変わらない。                                大きい関連を説明するのに、浅薄な発展概念に甘んずる傾きがある近ごろの歴史観に対してこそ、偶然というものが持つ重大な意義をくりかえし力強く指し示すことが必要である。(83頁)

我々は教訓的な歴史観を克服したと主張するとしても、やっぱり、すべて真に重要な歴史的人物には何かしら範例的なものがこびりついているのである。(98頁)

主題の際限ないくりかえし、音楽的装飾の積みすぎ、あらゆるモティーフの交錯、厳密な組立、ふざけた遊戯―こういったものの中に中世のこの後期様式の全精神が現わされる。それに枠を供したのがブルゴーニュである。(112頁)

人類が未来を思うとき、たいてい過去を呼び「返す」のである。(130頁)

歴史は精神的産物である。―それは知性的に把握されうる像であり、あいつぐ世代と、あいつぐ文化が常に新しく過去の荒涼たる破片―世代や文化の眼でみきわめられる過去の破片―から創り出さねばならなぬ像である。それは、けだかい像であって、それのもろもろの形や線は、真理と認識を求めるいやしがたい渇―この世のいかなる泉もいやすことの出来ない渇―によって定められる。(161頁)

私は、一般に文化を、特に現在の青年を、絶えず若干の危険でおびやかしている少数の心的態度に眼をとめ、ひそかにそれを四つ或いは五つのfontes errorum(誤謬の源泉)と名づけるのを常としている。この一連は次の通りである、一、新は旧よりも常に良い、二、変化は保存よりも常に良い、三、組織活動は個人的行動よりも常に良い、四、一般は個別よりも常に重要である、五、青年は老年よりも常に聡明である。(167頁)

ホイジンハ『わが歴史への道』(坂井直芳・訳、筑摩叢書160、1970年)より。『中世の秋』や『ホモ・ルーデンス』で知られるオランダの文化史学者の晩年の文章である。

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学生の頃、そしてその後も、歴史の普遍性や発展段階の法則を唱える史観を、きちんと学ばなければならない。―それは、脅迫観念のような気持ちだった。かじっては違和感を覚えてやめて、ついにこの歳まで、ちゃんと学ぶことがなかった。

しかし、歴史への知覚方法やアプローチに、ホイジンハのような感覚的(悪い意味ではない)な形があることを知ると、脅迫観念のように迫っていた史観が、鉄壁のように立ちはだかる存在ではなくなってきたような気がする。

そうなると逆に、いやいやではなく、その史観を改めて学ぼうとする気持ちも起きてくる。教条的にではなく、批判的に。


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