研究ノート 香川県における鉄道橋梁下部構造の考古学的検討(5) [研究ノート]

■4 歴史資料としての鉄道橋梁の叙述に向けて

4-1.設計・施工者との関係~讃岐鉄道の場合~

讃岐鉄道丸亀・琴平間については、路線開通の明治22年に工事主任・香取多喜が工事概要を公表しており(註16)、3-(2)で指摘した特徴の背景の一端を窺うことができる。

まず特徴①(石造躯体と煉瓦造躯体の併存)の背景として、工事概要では当初は石造のみで施工する計画であったことを明言している。                                                              理由は備讃海峡と周辺の花崗岩産地に程近いためであった。ところが、沿線住民の要望により橋梁としての施工箇所が大幅に増加し、当初は7箇所であった「コルベルト」(カルバート。ここでは暗渠式の拱渠ではなく、Iビームなどの小規模橋梁のことを指すと思われる)が29箇所に増加することとなった。このため窮余の策として、煉瓦造も採用することになったというのである。

讃岐鉄道の煉瓦の生産地は不明であるが、明治20年代前半までの鉄道建設では現地生産が多く、製品購入が普遍化するのは各地に大規模産地が形成され運搬コストが抑えられるようになる明治20年代後半以降のことであった。                                                                      いずれにしても、香川県では煉瓦よりも石材の方が安価に調達できることを示しており、明治30年以降の敷設路線において煉瓦が使用されなかった理由もここに求められよう。

特徴②(躯体は石造・煉瓦造に関わらずフランス積み)の背景は、工事概要には直接的な言及はないが、工事関係者にその手がかりが求められる。設計者の一人である平井は明治8年(1875)、文部省第1回留学生として渡米し、実務も経験した後に帰国、鉄道国有法の立法・実施や官庁組織の整備を行い、北海道の鉄道網整備や近代水道整備にも尽力した人物である(註18)。                                                                                 代表作の手宮機関庫(明治18年)や北海道庁本庁舎(明治21年)は、フランス積みの煉瓦造である。建築史では、明治10年代中頃が煉瓦造におけるフランス積みからイギリス積みへの転換期とされているため、これとは異なる平井のフランス積み指向は明確であろう。                                                                                      ただし平井は、この時期には函館水道の工事監督を務めていたため、どの程度実際に関与していたかは明確ではない。また、手宮機関庫や北海道庁ではコーナーに「羊羹」(通常規格の煉瓦の小口側を半裁したもの)を用いており、「七五」(通常規格の長手側を5/7に切断したもの)を用いる讃岐鉄道とは異なる。

もう一人の設計者である小川東吾の詳しい履歴は不明だが、この仕事の後は愛媛県の別子銅山鉄道(明治26年)を手がけている。ただし別子銅山鉄道では、現在までのところフランス積みの構造物は確認されていないようである。

施工者である日本土木(現・大成建設)との関連性はどうであろうか。設計者小川と工事主任香取は日本土木に属している。                                                                              日本土木施工の鉄道構造物にはフランス積みの事例はないが、大規模建築としては銀座煉瓦街(明治6~10年)がフランス積みである。銀座大通りと周辺の街路に面した建物を全て煉瓦造にするという、未曾有の都市計画の施工経験をもっており、その経験が生かされた可能性もあろう。

以上のように、工事関係者の陣容からは設計者平井と施工者日本土木の両者にフランス積みとの関連性が認められるが、讃岐鉄道のフランス積みは平井の厳格な適用形態とは異なり、また日本土木は銀座煉瓦街から既に12年余りを経た時期の施工というギャップが指摘でき、実際に適用されていく経緯については不明な部分が多い。

しかしポリクロミーの高頻度な適用と併せると、明らかに装飾的効果がねらわれたのは間違いない。また、石造橋台においてもフランス積み指向が明確なことから、これが特徴①で見たような施工段階での煉瓦造の採用という「窮余の策」に伴うものではなく、当初から意図されていた工法である可能性が高く、石造におけるフランス積み(「ブラフ積み」)との関わりを検討する必要もあろう。

特徴③(笠石・親柱を備える翼壁)の背景は、工事誌からも窺うことはできない。既述したように、最初期の官設鉄道のデザインを模倣した可能性もあるが、親柱の位置が異なっており、直接的な系譜関係が指摘できるかどうかは不明である。しかし実際の適用にあたっては、上記特徴②とともに装飾的効果が考慮されていることは認めてよいであろう。

讃岐鉄道は、本格的な鉄道としては四国初の路線であり(軽便鉄道としては明治21年の伊予鉄道がある)、会社設立者の一人・景山甚右衛門は明治11年に商用で赴いた横浜で官設鉄道を目の当たりにし、郷里での鉄道敷設を決意したとされる。敷設にあたり建造物に装飾性=記念性が演出された背景には、こうした事情をもつ敷設主体の意識も、より詳細に検討される必要があろう

4-2.谷積みの普及と鉄道 

翼壁や築堤擁壁の石積み工法として汎用された谷積みは、香川県の鉄道路線では明治22年の讃岐鉄道丸亀・琴平間ではまだ採用されておらず、明治30年の同丸亀・西浜間を初現としている。

一般に谷積みは、「鉄道網の進展とともにこの技法が各地へ広まったものと推察され」ており、その出現は「明治30年代の中央本線の建設あたりを契機として用いられたとしているが、谷積みが多用される土留壁は建設年代が明確でないものが多く、その起源についてはさらに精査が必要である」(註19)とされており、いつ、どの地域で始まったのかは全く不明な状況である。

香川県内における鉄道以外の土木構造物(註20)では、男木島灯台用地擁壁(明治28・1895年)や陸軍第11師団野戦砲兵第11大隊水路護岸(明治30年頃)が初現期の事例であり、その直前の宇多津仲枡塩田堤防(明治24年)は谷積みではなく落とし積みで施工されている。                                                                                                                                                                  このことから、香川では明治25~28年に谷積みが出現したことが推測される。石材との関係では、まず備讃海峡周辺産の花崗岩での適用事例から始まるようであり、寺社や民家などの民間構造物ではなく交通・軍事関係の公共施設にまず適用されることが指摘できる。出現年代がわずかではあるが一般的な理解よりも遡り、また鉄道に限定されずむしろ鉄道よりも遡って適用される初現期の適用事例が注目される。                                                                                                              後者の所見は、地域における谷積みの拡散の媒体として鉄道を措定することに疑義を呈することになろう。 香川での状況がどこまで普遍化できるかは、他地域での丹念な事例検討を踏まえる必要がある。                                                                                                           しかし鉄道に限っていくつか事例を挙げると、旧山陽鉄道(三石付近:明治24年)(註21)では橋梁翼壁は布積みであり、信越本線横川・軽井沢間(明治26年)も翼壁や切取擁壁は乱積み、旧河陽鉄道柏原・古市間(明治31年)(註22)では乱積みもしくはかなり不定型な谷積み1である。これらは、香川での谷積み出現年代と整合する所見である。

ところで僅か4年の年代差しかない仲枡塩田堤防と男木島灯台用地擁壁との間には、全く関連性がないわけではないようである。                                                                                                     男木島灯台は、不定型な谷積み1で、使用石材が正方形に近いために谷積み独特の鋸歯状に噛み合う目地の発達が不十分であり、右上-左下、左上-右下の2方向の目地が直線的に通る傾向にある。一方、仲枡塩田堤防では、使用石材の形状が不揃いではあるが長方形ないし正方形を指向しており、斜め方向に目地が通る落とし積みとなっている。男木島灯台との差異は、使用石材の規格性という一点のみであり、谷積み1への変化が地域の石材施工技術の枠内で捉えることも不可能ではない。

このように見てくると、谷積みは近世以来の石材加工技術の蓄積がある瀬戸内の花崗岩生産地帯で始まり、それが関東周辺にも伝播した可能性も指摘できよう。瀬戸内産の花崗岩は明治期以降、東京を中心とする関東地方の建造物にも幅広く用いられるようになっており、技術伝播の前提は存在するのである。

 


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