固定観念を変えられるということ [館長日記]
朝寝をしていたら、知り合いのKさんからの電話が鳴った。
ぼやっとした頭でケータイを取ると、いつもの大きな、人なつっこい声が聞こえてきた。
「館長さん。この間コピーしてもらった『南海流浪記』何度も読んだんやけどなぁ、あそこに出てくる『尾の背山』って、仲南の尾背山じゃなくて、箸蔵寺のことちゃうんか?」
「ええ?、だって尾背山では鎌倉時代の山寺の跡が見つかってますよ」
「そうかもしれんけど、あそこでの書きようと、大川山周辺の阿讃山脈の感じからすれば、箸蔵やで。あの辺は何度も歩いた感覚からすれば、ワシはそう思うけどなあ。そのことが気になってもう寝れんで、朝4時から何度も地図見たり、もう一度『南海流浪記』よんでるんや」
朝4時からって・・・・・・。いくら早起きの年輩者とはいえ、すごい。
寝ぼけから抜け出せない私は、いくつか反論を試みた。善通寺の杣山と書いてあるから、やはり言い伝えのある尾背山とみるのがいいのでは、さっきも言ったけど、平安~鎌倉時代頃の山寺も見つかっているし・・・・・・・・・。
そう言いながら、私の反論の根拠が、自分の中で“ストン”と落ち着いていない、一般に言われている固定観念みたいなイメージであることに気づかされた。対するKさんは、あくまで自分の土地感と地域イメージで史料を『解釈』している。
Kさん説が妥当かどうかは別の話だが、自分の視点(立場)を明確にして史料を読み込むという姿勢が明確である。それは、修練を積んで得られる、というようなシロモノではなく、本来その人がもっている感性のような気がする。
不意打ちをくらったとはいえ、どうやら朝の第一ラウンドは私の負けのようである。
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