フロッタージュ町家(1) [うたづの宝]

宇多津の古街(co-machi、旧市街)には、現在でも数多くの町家が残っている。『新宇多津町誌』にも記したが、2004年の調査で288棟の町家の存在が確認されている。その内訳は、

         江戸時代6棟/明治時代41棟/大正時代63棟/昭和戦前期178棟 

である。

当時、新米の古街住民だった私も、調査に参加したが、夏から秋にかけて早朝、一緒にチームを組んだM下さんやM谷さんと本町や山下界隈を歩き、1軒ごとに通りから表構えを観察し、調査カードに書き込み、使い捨てカメラで写真を撮っていた。                                          たくさんのチームが、それぞれの担当エリアを調べた結果の数字である。                          もっとも、それから後に、江戸時代のものも含めて、いくつかの町家は取り壊されてしまった。

ところで、町家とは、何か。                                                   町誌では「短冊形の宅地の表(街路)側に、間口一杯の主屋を建て、その後ろ側に中庭をはさみ離れや土蔵を詰め込む」と素っ気なく書いた。                                         大型のものには例外もあるが、通りに直接、建物が面していて、隣と連続したような町並みを形作っているものが、町家といっていいだろう。表側に門や広い庭をもち、奥に主屋をもつ農家とは、明らかに違う造りである。 

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町家がかたち作る景観は、まとまりのある抑制的な雰囲気をもっている。                          それは余所へ行っても同じことで、つい先日行ってきた関宿(三重県、下写真)は、宇多津とは全く異なる町家の表構えながら、とても落ち着いたたたずまいを見せていた。                             悪くいえば、個人や家族を地域に埋もれさせるような、取り繕った無表情にも見えるかもしれない。自立した個人を尊重する、近代社会にはそぐわないかもしれない。

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しかし、一長一短。                                                        決してノスタルジー的感覚でなく、近代社会が失ってしまった大切なものが、そこにあるように思える。                                                                    そこに思いをいたす時、町並みは過去の「終わってしまった」世界には見えなくなってくる。

ところで、町家が主役の町並みは、江戸時代、17世紀から20世紀中頃まで、300年あまり宇多津に根付いてきた。                                                      当然、そこには変化がある。                                                         町家1軒を細胞とすれば、常に新陳代謝をくりかえしてきたのだ。                            特に明治から昭和初期にかけては、藩権力の規制や建築技術の展開により、町家は垂直方向に伸び上がってきた。                                                       物置や収納スペースだった二階を居住スペースにすることで、背の高い町家が増えてきたのである。                                                                   やがて戦後しばらくして、木造文化住宅や鉄筋コンクリートの建物が増えいくと、町の表情は多様になるが、間口に限りがあるため、幅いっぱいの建物が建つことに変わりはない。 

となると、新たに建物を建てる場合、隣の既存建物との関係に配慮しなければならない。              その結果、建物の側面には、必ず隣の建物の存在が刻まれることになる。                           そして、隣の建物が壊されても、その痕跡が残されることになる。たとえば、こんなふうに。

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それはまるで、隣の既存建物がネガで、新たな建物の側面をポジにしているような関係だ。          子どもの頃やったことがある、何かに紙を当てて、その上から鉛筆をこすりつけて文様を写し取る、フロッタージュのようでもある。                                                   DSCN2851.JPG

 DSCN2852.JPG

そこで、とりあえずここでは、隣の建物に残された、失われた建物の痕跡を「フロッタージュ町家」と呼ぶことにして、古街での現況を記録しておく。 

調査日は、2011年5月4日(水)、午前10時30分から午後1時まで。歩きながら、いろいろなことが見えてきた。


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